甲源一刀流
甲源一刀流練武道場「耀武館」
埼玉県指定 有形文化財 建造物 (昭和18年2月15日指定)
甲源一刀流の開祖、逸見家の祖先は、清和天皇6世の孫で、代々甲斐にいましたが、16世逸見若狭守義綱が武田信虎氏と心が合わず、大永年間(1,521~28年)に当村小沢口に移り住みました。
25世逸見太四郎源義年は、剣の技をみがき甲源(すなわち甲斐源氏)一刀流と名付け開祖となりました。耀武館道場を建てて門弟の指導をし、往時の門弟は2千人を数えたと伝えられています。
その後代々、名剣士を生み出してきましたが、特に28世太四郎長英とその子愛作英敦は名人と称され、岩鼻代官所の指南役をつとめました。
そして、今日もなお、宗家の刀法を維持し、現当主逸見義清氏(33世)は、農業経営のかたわら、流派の継承につとめています。
道場は、木造平屋建てで白壁に武者窓があり、稽古場10坪、控え室2.5坪、稽古場につづいて一段高く床の間付きの師範席が設けてあります。
なお、甲源一刀流の名が全国的に知られるようになったのは、中里介山の長篇小説「大菩薩峠」によってです。小説の主人公、机竜之助は、甲源一刀流の使い手で、妙剣「音無の構え」で一世を風靡し、映画にもなりました。
甲源一刀流資料館
資料館の内部