埼玉県小鹿野町

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小鹿野歌舞伎のあらまし

 小鹿野歌舞伎は、今から約二百数十年前の江戸時代中ごろに始められました。町内には寛政4年(1792)に歌舞伎を上演した記録も残りますが、文化・文政期(1804~30)に活躍した初代坂東彦五郎が一座芝居を組織し、その後勇佐座・天王座・大和座と引き継がれ、小鹿野の大和座は長瀞の和泉座とともに明治・大正期に当地域の最盛期を作り、秩父地域はもとより群馬県まで興行を行っていました。昭和に入り、高砂座・秩父座・梅松座・新大和座と一座芝居も大きく変化し、映画・テレビの影響を受け昭和30年代以降は衰退の時期を迎えました。その後民俗文化財保護の機運が高まり、旧大和座系の役者と町内各地で地芝居を続けてきた人たちが合同して昭和48年に小鹿野歌舞伎保存会が結成されました。昭和50年には埼玉県文化財の指定を受けています。

 小鹿野町内では十六・小鹿野・津谷木・奈倉・上飯田の五か所に伝承され、それぞれ地元の神社の祭りに各地の氏子が中心となって歌舞伎を演じています。

 当町では、昭和46年より始まった郷土芸能祭を始め、年6~7日定期的に上演され「町じゅうが役者」という歌舞伎の町の面影を残しています。町内には、常設舞台が五カ所残り、掛け舞台や祭り屋台(山車)に芸座・花道を張り出す舞台もあります。最近では小・中学生による子ども歌舞伎、若手歌舞伎、女歌舞伎の一座も活躍し、後継者への受け継ぎも盛んです。

 歌舞伎を町の文化使節として派遣する「地域間文化交流事業」も好評を得てこれまで県内外39カ所で公演しました。歌舞伎を通じた文化交流を進め、町の文化イメージアップを図っています。
 

小鹿野町「歌舞伎のまちづくり」
(平成10年3月・潤いと活力のあるまちづくり自治大臣表彰受章)

 歌舞伎のまち・おがのでは、彩の国さいたまを代表する民俗芸能「小鹿野歌舞伎」を通し「町じゅうが役者」という地域性を生かし、歌舞伎教室や全国各地での公演などを行い、伝統文化によるまちおこしを行っています。