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18木造金剛力士立像 19木造阿弥陀如来坐像 20木造十一面観音坐像 21石造仁王尊立像 22木造聖観音立像
23木造蔵王権現像 24銅造蔵王権現像 25木造阿弥陀如来立像 26木造聖観音立像 27木造阿弥陀如来坐像
28木造聖観音坐像 29庚申塔 30森伊兵衛夫妻の像 31文殊菩薩坐像 32木造金剛力士立像 33木造普賢菩薩坐像
34木造千手観音坐像 
35木造大日如来坐像 36鰐口 37春日町屋台後幕刺繍原図 38長享二年秩父札所番付
39武田の高札 40黄檗木庵の墨跡 41吉田家文書 42明暦検地帳 43田?宴j文書 44坂本家文書 
45新井家文書
46坂本家文書 47岩田家文書 48柴崎家文書 49塚越向山遺跡出土注口土器及び収納石器
50火縄銃 51火縄銃 52火縄銃 53甲冑 54甲冑
   もくぞうこんごうりきしりゅうぞう
18木造金剛力士立像   2躯  県指定有形文化財(彫刻) 昭和38年3月29日指定

小鹿野町大字小鹿野1823   十輪寺

 本像は、ともに檜材を用いた寄木造で、目は彫眼、衣の一部に華麗な彩色が残っている。材料の檜は町内伊豆沢から伐り出されたと伝えられ、今も仁王平の地名が残る。製作年代は室町時代と考えられ、阿形像に寛文2年(1662)の修理銘が刻まれている。(像高、阿形像187.7 p, 吽形像187.0 p)
   もくぞうあみだにょらいざぞう         もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう
19木造阿弥陀如来坐像 1躯   木造聖観音菩薩立像 1躯  県指定有形文化財(彫刻)昭和59年3月27日指定

小鹿野町大字河原沢442  真福寺

 (阿弥陀如来坐像)檜材の寄木造、漆箔、玉眼、上品下生の来迎印を結ぶ等身大の坐像である。整った体部の構成、流麗な衣文、端正な面相は、鎌倉時代中期の様式をよくあらわし、慶派の正系に属す仏師の手になるものである。(像高86.6p)(聖観音菩薩立像)阿弥陀如来像の脇侍として安置され、檜材の寄木造、漆箔、玉眼。透かし彫りの宝冠、瓔珞をつけ左手に蓮華を持ち、腰をやや左に捻る優美な像である。顔立ちはやや面長で髻を高く結い、切れ長の眼に張りのある頬を持ち鎌倉時代中期の様式をよくあらわしている。 (像高107.0 p) 真福寺は、鎌倉時代に丹党武士の中村氏が本貫地としていた三山郷に属し、両像も中村氏が造立し、信仰していたと考えられる。
   もくぞうじゅういちめんかんのんざぞう
20木造十一面観音坐像  1幅  町指定有形文化財(彫刻)  昭和34年8月24日指定

小鹿野町大字小鹿野1823  十輪寺

 本像は、寄木造、漆箔。右手は施無畏の印をあらわし左手に蓮華を持つ。頭部に衆生の様々な願いに応える頭上面があり、室町時代前期の作と思われる。厨子は、元文元年(1736)江戸城の女官が寄進したものと記されている。もと札所15番蔵福寺か十輪寺末泉蔵院の旧仏と伝えられる。(像高51.5p)
   せきぞうにおうそんりゅうぞう
21石造仁王尊立像 2躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和34年8月24日指定

小鹿野町大字飯田2201  光源院   管理者 札所三十一番奉賛会

 本像は、札所31番観音院の山門内に安置され、秩父地方の石仏の中では最大のものといえる。石材は凝灰質砂岩で、観音院裏山から掘り出し、引きおろした際の麻縄が保存されている。日尾の石工と信州伊奈の石工藤森吉弥一寿らによって明治元年(1868)に作られた。 (阿行像、吽行像とも像高3.08m)
   もくぞうしょうかんのんりゅうぞう
22木造聖観音立像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)

小鹿野町大字般若2661  法性寺

 本像は、札所32番法性寺観音堂の本尊で右手は肘を折り掌を前に向け、左手に蓮華を持つ。頭部には透かし彫りの宝冠をつけ、像全体に漆箔が施され保存状態は良い。円満な顔立ちの美しい像で室町時代中頃の作と考えられている。厨子は常に開扉し、観音堂の格子越しに拝観できる。 (像高137.0 p)
   もくぞうざおうごんげんぞう
23木造蔵王権現像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和34年8月24日指定

小鹿野町大字般若2661  法性寺

 蔵王権現は、修験の開祖役行者が修行中に感得したという悪魔降伏の菩薩で秩父の修験関係の像として貴重。顔は三眼、口を開き、髪を逆立てた忿怒の姿をあらわし、彩色が施される。片足をあげ足先を左手で持つ姿は珍しい。右手は欠失している。室町時代の作と考えられている。 (像高21.0p)
   どうぞうざおうごんげんぞう
24銅造蔵王権現像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和35年12月1日指定

大字下小鹿野1509  加藤園彦

 本像も、秩父の修験関係の像と考えられる。室町時代の作で、近隣の仏師・鋳物師による室町時代の作と伝わる。口を閉じ、眼は三眼、髪を逆立て、右手を上げ手に三鈷杵(法具で武器をあらわす。) を持つ。左足で岩の上に立ち衣をなびかせて踊り躍する姿は、小さいながら重量感がある。( 像高15.5p)
   もくぞうあみだにょらいりゅうぞう
25木造阿弥陀如来立像 1躯   町指定有形文化財(彫刻)  昭和37年9月20日指定

小鹿野町大字下小鹿野1370  普寛堂

 本像は、檜材、寄木造、如来形の立像で、両手先と両足先が欠失しているが、来迎印を示していたと思われる。漆箔はほとんど箔落している。定朝様の特色が見られ、細身のすっきりとした姿に切れ長の眼を彫り、円満な顔立ちを持つ。平安時代末の造立と考えられる。( 像高96.0p、総高154.0 p)
   もくぞうしょうかんのんりゅうぞう
26木造聖観音立像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和37年9月20日指定

小鹿野町大字飯田273  三田川1-1 区長

 本像は、旧華蔵寺本尊と伝わり、寄木造、体部は如来形の衣文を持つ。眼は玉眼、漆箔が施され、左手は蓮華を持っていたと思われる。髪を結いあげた髻、やや肉付きの良い顔や体部は鎌倉時代の様式を示し、13世紀末頃の造立と考えられる。やさしい顔立ちの美しい観音像である。 (像高116.0 p)
   もくぞうあみだにょらいざぞう
27木造阿弥陀如来坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和37年9月20日指定

小鹿野町大字下小鹿野212  大徳院

 本像は、寄木造、眼は玉眼、漆箔を施し、肉付きのよい顔、豊満な体部、整然とした衣の線などは定朝様の影響が見られるが、13世紀初め頃の作と思われる。すぐれた技法は、中央の仏師の作であることをうかがわせる。大徳院の開基、奈倉氏の持仏堂の本尊として造立したものと考えられる。(像高52.4p)
   もくぞうしょうかんのんざぞう
28木造聖観音坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字長留4031  観音寺

 本像は、寄木造、彩色を施し、右手に蓮華を持ち、左手は欠失している。透かし彫りの宝冠をつける。美しい顔立ちの小像であるが、光背をつけ重層の台座にのる姿は威厳を感じさせる。台座内側に元禄4年(1691)、江戸本石町の仏師豊嶋良心の作と墨書がある。( 像高31.5p、台座を含む総高104.0 p)
   こうしんとう
29庚申塔  1基  町指定有形文化財(彫刻)  昭和51年9月24日指定

小鹿野町大字下小鹿野212  大徳院

 60日ごとに訪れる庚申の日に寄り合い、飲食をともにして夜を明かす。これが庚申の日待ちである。この庚申塔は、天保10年(1839)奈倉耕地が施主となって建立した。上部に日( 太陽) 、月、中央に邪鬼を踏む青面金剛像、その両脇に二童子像を刻む。作風から森玄黄斎の作と伝えられている。(高さ97.0p)
   もりいへえふさいのぞう
30森伊兵衛夫妻の像 2躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和51年9月24日指定

小鹿野町大字下小鹿野212  大徳院

奈倉の豪商森伊兵衛夫妻の姿を森玄黄斎が彫刻にしたものである。玄黄斎は、伊兵衛の二女ゑつの婿となり芸術家として名声を博した。玄黄斎が森家に入る天保2年(1831)以前の作。伊兵衛像が、像高17.0p、妻紀埜像が、像高22.5pと小型であるが、よく風貌をとらえ、肖像彫刻として見事なものである。
   もんじゅぼさつざぞう
31文殊菩薩坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和54年2月21日指定

小鹿野町大字伊豆沢1959  伊豆沢沢浦・諏訪神社文殊堂保存会

 本像は、伊豆沢文殊堂の本尊。丸みをおびた顔立ちに、切れ長の眼、高い髻を持ち、獅子の背にのる。一木造、彫眼の小像であるが量感に富み室町時代の作と推定される。獅子も同時期に作られ、正面を向き四肢を踏まえた安定感のある像で鎌倉時代の古様を伝えている。(像高29.5p、獅子像41.0p。)
   もくぞうこんごうりきしりゅうぞう
32木造金剛力士立像 2躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和61年2月26日指

小鹿野町大字下小鹿野124  奈倉耕地

 下小鹿野奈倉の鎮守、妙見宮を守護する仁王像。天明3年(1783)江戸日本橋の仏師祐雲が造立し、嘉永元年(1848)に彩色を塗りかえた墨書がある。神社に祀られた仁王像は、類例が少なく神仏混交の時代の遺例として大変重要といえる。(像高、阿形像217.0 p、吽形像216.0 p)
   もくぞうふげんぼさつぞう
33木造普賢菩薩坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻) 昭和63年2月26日指定

小鹿野町大字伊豆沢1959  伊豆沢沢浦・諏訪神社文殊堂保存会

伊豆沢の文殊堂本尊文殊菩薩像とともに安置されている脇仏。普賢菩薩は、智恵証の徳を司る文殊菩薩とともに釈迦の二脇侍として、仏の理・定・行の徳を司る菩薩である。本像は、一木造、彫目、彩色、白像の背の蓮台に乗る優美な姿をみせる。江戸時代の造立と考えられている。台座を含む総高75.0p。
   もくぞうせんじゅかんのんざぞう
34木造千手観音坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻) 昭和63年2月22日指定

小鹿野町大字伊豆沢1959  同上

 文殊堂本尊の文殊菩薩とともに安置される脇仏。一木造、彫眼、彩色。頭部に化仏面をつけ、42臂を数える。文殊菩薩と同様素朴な作風であるが古格のある技法を示し、面貌、衣文の造り等よく似ており、同一系統の仏師の作と考えられている。室町時代の作と推定される。 (像高34.2p。台座高さ27.7p。)
    もくぞうだいにちにょらいざぞう
35木造大日如来坐像 1躯  町指定有形文化財(彫刻)  昭和63年2月22日指定

小鹿野町大字伊豆沢1959  同上

 伊豆沢文殊堂に本尊の文殊菩薩とともに安置されている脇仏。本像は、寄木造、彫眼、彩色。菩薩形の頭部に八面の宝冠をつけ、胸前で智拳印を結んでいる。両腕、膝前、台座などは江戸時代の後補であるが、作風は、千手観音像とよく似ており、本像も室町時代の作と考えられている。 (像高34.7p。)
   わにぐち(げんろくじゅうにねんめい)
36鰐口(元禄十二年銘) 1口   町指定有形文化財(工芸品) 平成5年9月8日指定

小鹿野267  上一丁目

 鷹巣下薬師を祭るお堂に掛けられていた鰐口。表面の銘文から、元禄12年(1699)江戸の鋳物師の作で小鹿野の初期開発者である出浦氏の寄進とわかる。鷹巣下薬師が江戸時代の早い時期から信仰されてきたことを示し、当時の数少ない資料として文化史上貴重な資料である。
   かすがちょうやたいうしろまくししゅうげんず
37春日町屋台後幕刺繍原図 1点 町指定有形文化財(工芸品)  平成5年9月8日指定

小鹿野1808  小池正二

 本図は、春日町屋台後幕の見本として日本橋越後屋に作らせたと伝わる。昭和56年の屋台修理では本図をもとに後幕が再現された。紺の絹地に松、酒壺と3体の猩猩が金・銀の糸で刺繍されている。明治初期の工芸品として芸術的価値が高く、屋台の変遷を伝える貴重な資料である。(縦63.0p、横62.5p)
   ちょうきょうにねんちちぶふだしょばんづけ
38長享二年秩父札所番付 1巻  県指定有形文化財(古文書)  昭和34年3月20日指定

小鹿野町大字般若2661  法性寺

 秩父札所の創立は明らかでないが、本番付は長享2年(1488)に記され、室町時代すでに33か所の札所が定められていたことを物語る。当時の順路は現在とは異なり、秩父大宮郷が中心で、江戸時代に入り、江戸からの巡礼者が多くなり現在の順路に変わったものと思われる。 (縦24.5p、横101.8 p)
   たけだのこうさつ
39武田の高札 1幅   町指定有形文化財(古文書) 昭和34年8月24日指定

小鹿野町大字飯田840 光源院

 本高札は、武田軍の高源院(光源院) に於ける乱妨・狼藉を禁じ、背いた者を罪科に処するという掟書きである。永禄13年(1570)2月28日の日付と武田家重臣山県三郎兵衛の名が記され、二重円の中に龍を描く武田家の朱印がある。光源院は武田氏重臣逸見氏が開基と伝わる。(縦30.2p、横40.4p軸装)
   おうばくもくあんのぼくせき
40黄檗木庵の墨跡  1幅   町指定有形文化財(書跡)  昭和37年9月20日指定

小鹿野町大字下小鹿野1387  鳳林寺

 木庵は、黄檗宗の名僧で、明の隠元が宇治に開いた黄檗山万福寺の二世。画家・書家としても有名で隠元、即非とともに黄檗の三筆に数えられ、貞享元年(1684)74歳で没した。この書は、鳳林寺三世中興萬谷順鶴が江戸で木庵と親交を持った際贈られたものと伝える。( 縦108.8 p、横120.5 p、軸装)
   よしだけもんじょ
41吉田家文書    町指定有形文化財(古文書)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字小鹿野1882  吉田久子  小鹿野町教育委員会

 吉田家は、戦国時代に北条氏邦の家臣となり、上州方面を知行した。元和年間(1615-1623) 小鹿野に入り、名主等をつとめ、戦国時代から明治初年までの古文書約100 点が伝わる。「吉田系図」は北条氏から発給された23点の中世文書が書き写される。小鹿野陣屋関係文書なども貴重。
   めいれきけんちちょう
42明暦検地帳    町指定有形文化財(古文書)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字河原沢1442-1  南幸一郎

 南家は、戦国時代北条氏邦の家臣となり、その後河原沢に居住し世襲の名主をつとめた。明暦元年(1655)の「三山内河原沢検地帳」が15冊保存される。これにより河原沢村には、畑地3073筆と屋敷121 戸、寺院3か寺があったことがわかり、江戸時代初期の当地域の様子を知る上で貴重な史料である。
   たじまけもんじょ
43田家文書    町指定有形文化財(古文書)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字小鹿野1855  田健一

 田宴jは、戦国時代以降小鹿野に居住したと伝え、江戸時代を通じて世襲の名主をつとめた。元和元年(1615)の小鹿野郷年貢割付状などの江戸初期の地方文書のほかに、文政4年(1821)小鹿野の上・中・下町三宿の市場議定書や上小鹿野村絵図など、小鹿野の町並みの変遷を伝える貴重なものがある。
   さかもとけもんじょ
44坂本家文書    町指定有形文化財(古文書)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字長留2780  坂本義明

 坂本家は、戦国時代には北条氏邦の家臣となりその後長留蕨平に居住し世襲の名主をつとめた。近世文書2668点、近代文書915 点、計3583点を数える。慶安5年(1652)の長留上郷検地帳9冊をはじめ、よくそろった土地、年貢関係文書のほか村絵図など長留村の移りかわりを示す貴重なものが多い。
   あらいけもんじょ
45新井家文書    町指定有形文化財(古文書)  昭和45年7月2日指定

小鹿野町大字藤倉2414  新井幸男

 新井家は、戦国時代北条氏邦に仕え、江戸時代は藤倉村八谷に居住し、年番名主、次いで世襲名主をつとめた。古文書は、近世文書398 点、近代文書53点、計451 点が伝えられている。日尾荊山の高弟、新井文饒が名主として活躍した際の文書も多い。土地・年貢関係文書の他山林経営等の貴重な資料が多い。
   さかもとけもんじょ
46坂本家文書    町指定有形文化財(古文書)  昭和47年1月12日指定

小鹿野町大字長留3575  坂本鶴吉

 坂本家は、長留皆谷に居住し代々三郎左衛門を名のり世襲名主をつとめた。古文書は60点が伝えられ、慶長3年(1598)の「武蔵国秩父郡長留之御地詰帳」は秩父では長留村、太田部村、薄村、黒谷村、大淵村の5例のみが残る最古の検地帳として貴重。他に村絵図等地域の状況を伝える古文書が多い。
   いわたけもんじょ
47
岩田家文書    町指定有形文化財(古文書)
  昭和53年6月22日指定

小鹿野町大字小鹿野310  加藤録郎

 岩田家は、戦国時代、北条氏邦の家臣でその後白鳥村(長瀞町)薬師堂(両神村)を経て上小鹿野村に居住し、割元名主(数ケ村の行政を担当する) をつとめた。近世文書166 点、近代文書24点の計190 点が伝えられる。慶安5年(1652)の上小鹿野郷検地帳のほか当地域の地誌なども貴重な資料が多い。
   しばさきけもんじょ
48柴崎家文書  町指定有形文化財(古文書)  昭和56年4月16日指定

小鹿野町大字小鹿野259  柴崎重子

 柴崎家は、江戸時代より豪商として知られ、明治時代は生糸・米等の売買のほか郵便事業、運送業など幅広く営業した。近代文書を中心に約200 点が伝えられている。明治6年(1873)から明治17年までの初期郵便関係文書39点は貴重。小鹿野駅伝組合、内国通運会社関係文書、日記類なども好史料である。
   つかごしむこうやまいせきしゅつどちゅうこうどきおよびしゅうのうせっき
49塚越向山遺跡出土注口土器及び収納石器 塚越向山遺跡出土品 県指定有形文化財(考古資料)平成10年3月13日指定

小鹿野123  小鹿野町教育委員会

 縄文時代中期末(約4,000 年前)の住居跡の石囲い炉から出土し、注口土器の中に石器の原材料となる黒曜石の塊・破片19点と磨製石斧の完形品10点が納められていた。全国でも出土例の少ない資料。塚越向山遺跡(吉田町上吉田)は合角ダム水没地域発掘調査により発掘調査が行われた遺跡。
   ひなわじゅう
50火縄銃 一式   町指定有形文化財(歴史資料)火縄銃  平成9年4月25日指定

小鹿野町大字藤倉322  酒井和三

 作物を荒らす猪などの駆除を行うため、領主から特別の許可を受けた四季打鉄砲で江戸時代とほぼ同様な状態で保存されている。火薬入れ、玉、烏口(玉入れ)、玉鋳型、火縄などの付属品も良く残っている。江戸時代末の木製鑑札2枚が伝わっている。全長136.7 p、口径1.1 p
   ひなわじゅう
51火縄銃 一式   町指定有形文化財(歴史資料)火縄銃  平成9年4月25日指定

小鹿野町大字藤倉644  南 定雄

 作物を荒らす猪などの駆除を行うため、領主から特別の許可を受けた四季打鉄砲で江戸時代とほぼ同様な状態で保存されている。弘化3年(1846)「藤倉村下郷猟師四季打鉄砲御鑑札願」と万延2年(1861) 「鉄砲御廻状請印写」の古文書及び木製鑑札も伝わっている。全長106.5 p、口径1.4 p
   ひなわじゅう
52火縄銃 一式  町指定有形文化財(歴史資料)火縄銃  平成9年4月25日指定

小鹿野町大字藤倉4791  飯塚隆太郎

 明治時代初期に神社の奉納的当てに使用したと伝わっている。火打ち石や鹿骨製の雉笛などが付属し、伝統的な狩猟用具としても貴重である。  全長137 p、口径1.2 p
甲冑   かっちゅう
53甲冑 1領   町指定有形文化財(歴史資料) 平成10年3月18日指定

藤倉2411  新井武記

 藤倉村強矢の名主家から新井家が受け継いだもので、鉢形城に仕えた強矢弾正のものと推定される。戦国末期の甲冑で兜は阿古陀形の六十間筋兜、胴は二枚桶側胴、籠手、草摺、佩楯、脛当などのほか鎧櫃も残されている。
甲冑   かっちゅう
54甲冑  1領   町指定有形文化財(歴史資料)  平成10年3月18日指定

藤倉4538  新井忠雄

藤倉森戸の新井家に伝わった鎧。江戸時代に旅籠と商店を営んでいた新井家を訪れた落武者が野良着と交換したと伝わる。戦国時代から江戸時代にかけて作られた当世具足で胴は二枚桶側胴、佩楯は正平革を使用している。江戸時代の火事装束の兜と陣羽織も伝わっている。